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すでに自分の中にある答え
僕は32歳の時に、オーストラリアをあてもなく半年ほど放浪した。
生まれて初めて、風の向くまま気の向くままの、予定をたてない旅だった。 目の前の光景全てが新鮮で、写真を撮りまくった。 様々な出会いがあり、孤独を感じている暇などなかった。 時間は有り余っていたので、自分の過去や将来に関しても、嫌というほど考えた。 それまでの自分は今日、今、何かをしなければいけない、そういつも思っていた。 常に明日への不安や危機感を持って生きてきた自分、誰かと比べていた自分。 そんな、それまでの人生とはまるで違う自分がいることが驚きであり、 明日が全く見えないのにポジティブで今を楽しめる自分が好きになった。 そんな旅がいつまでも続けば良いと思った。 そして、そんな旅をいつでも出来る職業はと考えた時、やっぱり写真かしかない と思った。 昨年、当時の写真を再構築して当時の気持ちを思い出しながら、「夢を追いかけて」という 写真詩集を作った。 今はもうあんな気持ちで旅をし、写真を撮り続けることは出来ないけど、自分の中に既にある イメージを探し続ける旅に変わりはない。 僕が感動する風景、写真に撮りたい風景は、心の中に漠然としたイメージとして既に存在する。 多分、潜在意識として子供の頃から変わらずにあるんだと思う。 ところが、僕らは情報の嵐の中で生活している。 テレビも、ネットもメールも、携帯も新聞も電車の中の広告も あれもいいでしょ、これもいいでしょというメッセージが常に聞こえてきて、 自分の心の、小さなささやきに耳を澄ます余裕がない。 色々な本を読んだり、色んなことを学んだりするうち、こういうものがすばらしいんだ こういうものにみんな感動するんだ、そんな知識が自分の頭の中を占めるようになっていく。 でも、それは情報だ。 時代の流れとともにどんどん形を変えていく、単なる情報。 でも、僕らは毎日の生活の中でそんな情報を共有し合い、あれはいいよね、これもいいよねと 情報を分析し合う。 アンテナが張ってる人はセンスがいいと言われ、そうでない人はダサイ、遅れてると言われる。 そうやって情報という広大な海を漂っているうちに、いつの間にか本当の自分が良いと思うものは 情報の波の中に埋もれてしまう。 そして、自分を見失う。 本当に好きなもの、本当に求めているものは、誰も教えてくれない。 それぞれの人の心の奥にしまってあるのだ。 だから僕は旅に出る。 心にたまった日々の垢を昔と同じように、ゆっくり時間をかけて落とし、 心に張り巡らせた壁を取り払い、段々にその大切なものが何だったのかを思い出す。 撮りたいイメージが自分の中に既にあって、そのイメージに出会うために旅を続ける。 その場でなんとかして写真を撮るのではない、出会うまで探すのだ。 心のコンディションの調整がうまくいくと、目の前に起こることだけに集中出来るようになる。 そして、空の一角に目を奪われる。 求めていたイメージに、出会うのだ。 写真家になりたい、アシスタントにして下さいという人も、たくさん来る。 でも、僕は今のところ、アシスタントは採らない。 僕の写真は自分の心と会話しながら、一人で撮るものだから。 それでも一言アドバイスするとしたら、どんなことだろう。 技術やセンスの前に大切なのは、自分が何を表現したいのか、何を人に伝えたいのかを まず知ることだと思う。 それは、誰かが教えてくれることではない。 その「なにか」の種は、自分の心の奥にすでにあるはず。 情報に埋もれたその「なにか」を掘り起こすのだ。 その「なにか」が自分に見えてきた時、それを写真で表現するにはどうしたらいいか 悩むのだ。 その「なにか」が見えるようになるには、社会経験や様々な感情を乗り越えることなどが 必要だと思う。 僕のような長い旅も有効だと思う。 その「なにか」が自分の中である程度見えた頃に改めて写真家、あるいは様々な表現者を 目指した方が、近道のような気がする。 2007年11月18日 HABU |