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三鷹市北野
1996年4月、小川町の家を追い出された僕は、東京の三鷹市北野というところに
家を借りた。 京王線の仙川駅から徒歩15分、吉祥寺までバスで15分というところだった。 家を決めた理由は、目の前が大きな駐車場で空が広かったこと、 裏が竹林で近所には畑が多く、広い場所が多かったことなどだった。 好きな撮影ポイントである多摩川の河原までは、車で20分ほどだった。 毎日犬の散歩がてら、広い畑や河原に出て、東京の空を撮った。 引っ越してすぐ青山ベルコモンズ地下のギャラリーに誘われ、写真展を開いた。 「風景の言葉」 写真詩集「夢にむかって」の原型となったこの写真展は、小川町での一年間、 練りに練った言葉と写真を融合させたものだった。 客数は少なかったが、僕の写真を「いい!」と言ってくれる人達がたくさんいることに 気付かせてくれた写真展だった。 初めて会場に置いたアンケート用紙には、熱いメッセージがたくさんあった。 会場に来てくれた人達とは、積極的に話をした。 オリジナルプリントも10数枚売れた。 新たに作ったポストカードセットも売れた。 この写真展で、僕は写真家として進んで行くことへの手応えを感じた。 その頃、シドニー以来の友人、ロバート・ハリス氏がいつの間にか FM局J−WAVEの人気DJになっていた。 そんな彼のもとに雑誌で旅行記の連載をする仕事が舞い込み、僕を相棒として誘ってくれた。 「AVAN」や「旅学」といった雑誌に、自分の写真が載るようになった。 「AVAN」は車と旅がテーマの雑誌だったため、走る車の流し撮りや人物・物・食べ物・夜の撮影など、 色々な物を撮ることに挑戦した。 この流れからのちにロバートとは、東京書籍「果てしない旅」シリーズでギリシャ・モロッコ・イタリア など様々な場所へ行くことになった。 毎年2〜3ヶ月は、金と時間を作って、自分の作品を撮るためにオーストラリアへ通った。 98年春、友人の画家や写真家4人でテーマ自由の合同展を開いた。 一人当たりの壁面が10メートルと小さかったので、僕としてはテーマをうんと絞り込んで、 組み写真のようにすることにした。 そこで、オーストラリアにこだわらず、空が主役になっている写真を12〜3枚選び、展示した。 その展示を毎日毎日眺めているうちに、ひらめいた。 「自分がやりたかったのはこれだ」 写真展も積極的に、年1〜2回は会場を探して開催した。 この頃自分は「プロなんだから、写真展は会場費がかからないところでやろう」と決めた。 すると、様々な出会いが写真展を開かせてくれた。 池袋のサンシャイン展望台は、「空の上で空の写真展」と好評で、ほぼ毎年開催した。 写真展を開く度に、自分の表現したいものが自分の中で整理され、一歩ずつ前に進むような 感覚だった。 毎回、写真展に顔を出してくれるファンの様な存在も増えた。 みんなが書き残してくれるメッセージノートやアンケートの言葉からは、いつも自信と力をもらい、 前に進む勇気を持ち続けることができた。 ある時期は、原宿キディランド裏のビルの一室を、ロバートを始めとした仲間数人で借り、 事務所兼サロンのようにして共同所有した。 アーティストや詩人、ミュージシャンなどが集まる場になった。 隠れ家であり、文化交流の場であり、酒を酌み交わす場所だった。 でも、当時の僕は金がなく、月2万円の会費が払えず、一年でその仲間から脱退したが、 毎晩最高に面白く、刺激的だった。 (この詳細は、ロバート・ハリス著「100のリスト」(講談社)に掲載されています。) 相変わらず僕は、作品をまとめたアルバムを持って、出版社を回る日々だったが、 なかなかチャンスは巡ってこなかった。 自費出版も考えたが、自分を信じるチャンスをつかみ取る方に賭けた。 そんな煮え切らない時期の1998年秋、友人の紹介で渋谷パルコ地下のロゴスギャラリー での写真が決まった。 写真展の情報を載せてもらおうと、いろいろな雑誌に売り込みに行った。 そして「日本カメラ」というカメラ雑誌のグラビア3ページに写真展の告知とともに、 6点の写真を紹介してもらえた。 それがたまたま以前に売り込みに行ったが断られていた、PIE BOOKSの社長の 目に留まり、フォトカードブック「雲の言葉」を出版することになった。 「雲の言葉」は写真集+ポストカードという、写真集よりは企画ものという感じだったが、 初めての出版物であり、デビュー作、気合いも入った。 ベストの写真達を揃え、タイトルにもこだわって作った。 発売後、書店で平積みされているのを見た時は、本当に嬉しかった。 「雲の言葉」の売れ行きは順調で、3ヶ月で増刷。 取材や写真を貸すなどの写真の仕事も増えて来て、僕は数年間やってきた アルバイトとしてのPRや広告制作の仕事を辞めた。 しがみつかないことが大事だと、思った。 6ヶ月後には本格的な、写真集を作ろうという話をもらった。 そこで作ったのが、「空の色」だった。 完成度の高い、HABUワールドを目指し、中身の濃いものに煮詰めていった。 それまではいつも写真にはタイトルをつけていたが、「空の色」ではタイトルを付けず、 写真のエネルギーだけで勝負することにした。 毎日映写機で壁一面に大きく映し、選び、構成を考えることに半年を費やした。 「雲の言葉」のブックデザインはPIEの社内でやったが、僕としては納得いかない 部分も多かった。 デザインや印刷には僕なりのこだわりがあった。 そこで、20年来の親友である広告デザイナー三浦敏郎さんに頼み、自分のこだわりを 聞いて貰いながら彼と二人でブックデザインをした。 写真の並べ方は、何日も議論した。 ほぼまとまった2000年夏に、「旅学」という雑誌のためにロバート・ハリスと2週間の シチリアの旅をすることになった。 取材の間の空いた時間に、集中して写真のコメントを書き、ロバート得意のインタビューを してもらい、それを後書きとすることにした。 そして2000年11月 45年間の思いを注ぎ込んだ、写真集「空の色」が発売になった。 そして同じ月、僕は父親になった。 2007年10月2日 HABU |