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荒野へ
旅に出た最初のうちは、どこへどういう方法で行って、誰と出会って、何を見て、
何を食べて、なんという名前で、値段はいくらで・・・。 そんな情報を、自分の中にため込んでいく。 情報がフル回転で、脳に入ってくる。 写真を撮るのも、忙しい。あれもこれもと、欲張ってしまう。 旅も2週間を過ぎた辺りから、写真の撮り方が変わってくる。 撮るべきものがなくても、焦らないのだ。 旅の初めの頃は、情報をふるいにかけながら写している気がする。 旅に体や心が馴染んでくると、バイブレーションを感じながら写真を撮れるようになってくる。 一日のうちにも、バイブレーションの波があって、感じない時にはいくら探しても、 撮りたいと心動かされるものが見つからない。 逆に波が来た時には、一気に勢いで撮ってしまう。 そんな時は写真の上がりが見える。これは強い写真になると。 情報を撮っているのではない、その場その物のエネルギーを撮っているのだ。 考えて撮った写真は、つまらない。 90年、35歳の時にオーストラリア内陸部の、ブロークンヒルへ一人で撮影に行った。 「空の色」のラストの写真です。 シドニーから車で二日。 マッドマックスを撮影した、典型的なアウトバックの町。 周囲は何もない荒野。 360度、青空と赤土だけ。雲一つない快晴。 最高!と思ったが、何枚撮っても同じ写真。 とうとう何を撮っていいのか、分からなくなった。 そのような日が、数日続き落ち込んでいた。 気力も弱まり、ついでに風邪を引いてしまった。 長い移動はしたくなかったので、毎日毎日、朝昼晩と何度も360度赤土の 地平線に通った。 そしてある日、そこにあるのが宇宙と自分だけなのだと気付いた。 気付いてみると、その場所での自分の存在感は圧倒的だった。 時間も距離も全て、自分の手の中にあるような感覚。 既成のルールのない、世界。 自分の宇宙。その中に自分がいる。 だって自分以外、本当に何もないのだ。。 悲しいか、楽しいか、退屈か、忙しいか、金持ちか、優秀か、決めているのは自分なんだ。 感情を支配しているのも、自分。 それが自分の宇宙なんだ。 あの旅以来、僕は何度も何度も同じような荒野に一人、出かけていった。 または誰一人いない辺境の浜辺で、何日も暮らしてみた。 活字も電波も、そして会話もない。 すべての情報から逃れ、ただ、地球と一日中向かい合っていると、 自分の存在感がどんどん強くなっていく。 心のささやく声がどんどん大きな声になっていく。 そして僕は何者で、何を求め、何に感動して、どこへ向かおうとしているのか、 ハッキリと分かるようになる。 自分がどうしたいのかが、分かるのだ。 それはきっと、心の声だ。 その声を信じて進むのが、僕には快適だ。 僕が荒野に向かうのは、何の影響も受けない、素の自分に会いたいから。 きっとそうだと思う。
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