埼玉県小川町


1994年、写真家になるという夢をもう一度胸に、僕はオーストラリアへ渡った。
そして、約一年間の悩めるオーストラリア放浪を終え、日本に帰ってきた。


とりあえず実家に転がり込んだが、保守的な父には僕の生き方を理解してもらえず、
快適とはいえない日々が続いた。
一ヶ月ほど経ち、たまたま関越高速を走っていると、妙に惹かれる風景があり、
この辺りの古い農家なんて良いなと思ったので、家賃は幾らぐらいなのかあたってみようと
花園インターで降り、不動産屋を探した。
のんびりした田園地帯は、大好きなバリ島の山の村やウブドゥを思わせ、自然と隣り合わせで
生きる生活が想像出来た。


あちこちドライブした後、東武東上線小川町駅前の不動産屋にたどり着き、ここらの相場を
聞こうと中に入った。
小さな店内には先客があり、女主人が話を聞いていた。
待ちながら、聞くとはなしに耳に入ってくる話を聞いていると、倒産し夜逃げした社長が住んでいた
家の話をしている。
景色抜群、ごたごたが済むまで幾ら安くてもいいから住んでくれる人を捜したい、そんな話だった。
その話が終わり、僕の番になって僕がどんな家を探しているのかを聞いた女社長は「さっきの物件どう?」
と言った。二日後、僕はその家を見に行った。
夜逃げした家ということで、冷蔵庫には野菜が残っていたし、壁には家族の写真が貼ってあった。
結局、そのマウンテンビュー、サンルーム付き5LDKの家を7万円で借りることになった。
不具合なところや先住民の名残はきれいに、また家具の幾つかはそのまま残して貰って、
僕はそこに住みだした。


人に預かってもらっていた愛犬ビーグルを引き取り、比企郡小川町勝呂地区での生活が始まった。
和紙の里として知られる小川町は、急行で池袋から90分。通勤圏というには微妙に遠すぎる。
隣の嵐山町とともに、荒川水系の上流の小さな川がいくつか流れる、のどかな田園地帯。
我が家からは竹林越しに宮の倉山が見え、風情豊かな自然の移り変わりを楽しめた。
日課は車で15分ほどの都幾川の河原への犬の散歩を兼ねた写真撮影だった。


僕はそこで今まで撮りためた写真を、どうやって世間に発表するか考え、写真を選び、タイトルを付け、
とにかく自分の写真と毎日向かい合った。
出口が見えなかったので、必ずしもハッピーな日々ではなかったけれど、のんびりしている割には
内容の濃い毎日だった。
いい季節には毎週東京から友人が押し掛け、民宿のようだった。
することがないと川に行って、釣りをした。
オーストラリアから友達の家族が来て、一ヶ月半居候していた。
僕は月に2回ほどアルバイトの広報の仕事のため、東京へ行った。
お金はなかった。収入もなかったけど、お金を使う場所もなかった。


一年かけて、写真詩集「夢に向かって」の元となる作品を練り上げていった。
自分の写真、自分らしさ、自分が何を言いたいかを探し続けた。
たぶん、以前住んでいた東京の青山では、あの作品は出来なかっただろう。
まったりとした時間の流れ、何も起こらない毎日。
その中で考えた「こうじゃない、僕はもっとこんなことがしたい、言いたい」
そんな感情がそこに住んだ一年の間に熟成したんだと思う。
言葉を削って削って、もう一度削る。すると、一番言いたいことだけが残る。
そんな表現スタイルがいいと思ったのは、あのまったりとした日々があったからだと覆う。


住み始めて一年後、その家の買い手が見つかったので出て欲しいと言われた。
そして、同じ頃に青山で写真展をやらないか、という話が来た。
僕は、一つの時代が終わったことを悟った。


僕はしがみつかない。
前に進むために、東京に家を探し始めた。



2006年10月1日

HABU