オーストラリアとの出会い


初めてオーストラリアに行ったのは、31歳のとき。2週間の出張だった。
当時ファッション関係の会社の広告を担当していて、水着カタログや夏のキャンペーンのための
撮影に同行したのだ。
季節が日本と反対のため、季節ものの撮影に南半球は適した場所だ。
2月のオーストラリアは真夏。カメラマンを始め、スタッフは約10名。
シドニーとゴールドコーストの様々な場所で撮影したり、取材をした。


撮影には通常、現地コーディネータ−という世話役がつく。
そのときコーディネーターとして出会ったのが、今も親交のあるロバート・ハリスだった。
彼とはシドニーにいる間、一週間ほど一緒に仕事をしたのだが、すっかり気が合い親しくなった。
ある日、仕事が終わって、彼と一杯飲んでいたとき僕が言った。
「オーストラリアはいいよね。自然がいっぱいだし、かたっ苦しくないし、みんなリラックスして、
人生を楽しんでるよね」
「移民の国だからね。他の人がやることに、いちいち目くじら立てないんだ。こうじゃなきゃいけない
っていうのがないから暮らしやすいんだよ」
そして彼はオーストラリアがどれほど気楽で、暮らしやすい国かを語り出した。
日本人の血が4分の3、英国人の血が4分の1という彼は住みにくい日本を飛び出し、今はシドニー中心部
の大きな家に住み、のんびり暮らしている。
僕は彼の生活をうらやましく思った。


南青山の小さな小さな部屋に住み、幻想を売り物にするファッションの世界で働き、中古のBMWに乗り、
西麻布や六本木で飲み、休日はゴルフをする。
それが10年かけてたどり着いた、今の自分。
そんな生活に憧れた時期もあったが、その生活のどこが豊かなんだろう。


仕事を早めに切り上げてサーフボードを抱えて、近所のビーチへ。
郊外へと車を走らせると、野生動物がたくさんいる手つかずの大自然。
澄み切った空、透明な海、プールのある広い家、週末は仲間が集まってバーベキュー。
僕は心からオーストラリアに住んでみたいと思った。
ロバートにそう告げると「じゃあ、会社辞めてくればいいじゃない。うちに居候していいよ」
当たり前のことのように言った。


2週間の仕事を終え、帰りの飛行機の中で考えに考えた。なるほど、その手があった。
会社辞めればいいんだ。
人生リセット。悪くない。何とかなるよ。
成田に降り立った時には、決心していた。


その仕事が一段落したとき、僕は上司に打ち明けた。
「会社辞めたいんです」
「なんで辞めるんだよ。仕事もうまく行ってるし、おまえの未来だって明るいだろう」
上司は取り合ってくれない。
「写真やりたいんです」苦し紛れに出た言葉だった。
「写真撮りにオーストラリアに行きたいんです」
僕の趣味が当時写真だということを知っていた上司は突然、妙に納得してくれた。
その後は、この手で周囲を納得させていった。


半年後、英語学校の学生ビザとPhotographer HABUという名刺を手に、まぁ、何とかなるだろう
という思いを胸に、再びオーストラリアへ向かった。
1987年9月、32歳まで、あと一週間だった。



2005年7月31日

HABU