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撮影の旅
サラリーマンを辞めて初めてオーストラリアを旅した頃は、ありとあらゆるものに
カメラを向けていた。 広い大地、人物、動物、植物、家、町並み、そして空。 だんだんにテーマが自分の中で絞られてきて、使えるフィルムも限りがあるので、 だんだん空がらみの風景しか撮らないようになった。(家族や野生動物の写真は撮る) 旅に出ると、一日2本(72枚)が平均。 ×日数で持っていくフィルムの数は決める。 何度か途中でフィルムが足りなくなったり、大量に余ったりという経験をするうちに得た経験値。 でも5本撮る日もあれば、全く撮らない日もある。 撮りたくない時は、撮りたくなるまで撮らない。 無理矢理モチベーションを上げようとして撮るのは、浪費。 写真には、写真家のコンディションが写る。 旅に出て何日かが過ぎ、あるポイントを過ぎた時、フィルムの消費量がぐっと上がる。 撮りたくてたまらなくなるのだ。 旅を続けるうち、引きずっていた日本での生活や価値観が抜けてくる。 何にも縛られない、自由なアーティストに戻る。 正解が自分の中にあることを思い出す。 リラックスして、目の前の一瞬に集中出来るようになる。 言葉が見える。 その最高のコンディションとシンクロするかのように、見たこともない空のドラマが 目の前ではじまる。 これを体験したら、もうやめられない。 その感動をもう一度味わいたくて、今日も車を走らせる。 1997年1月、僕は一人、オーストラリアに撮影に出かけた。 撮ったものを、5月にコダックサロンで写真展をすることになっていた。 そのために大量のフィルムを支給してもらい、カメラは自分の機材以外にペンタックスから 中判67のカメラとレンズ3本を貸してもらった。 そんな旅は初めてで、前半はプレッシャーが強くて、どうしてもうまく写真が撮れない。 ハッピーな写真を撮りたいのに、どんどん落ち込んでゆく。 誰とでも友達になりたいのに、どんどん自己に引きこもっていく。 最悪の精神的コンディション。 モーテルからモーテルへと、ただ移動の毎日。 しまいには、どんなすごい夕焼けを見ても、カメラを出すのが面倒になった。 旅がひと月ほど続き、OBELONという田舎町のはずれ。 夏枯れで金色に輝く、牧草の中の古い道の写真を撮っていた。 その時に、あっとひらめいた。 バッドな状態でハッピーな写真を撮ろうということは、絶対無理なんだ。 バッドでいいじゃないか。 精神状態は、必ず写真に写る。 バッドな時にしか撮れない写真を撮ればいいんだ。 自分に嘘をつかなきゃいいんだ。 その写真のタイトルが突然浮かんだ。 「自分への道」 結局、写真展は自分が縛られているものからの解放をテーマにうまくまとまり、成功した。 以来、同じようなことでは悩まなくなった。 自分のネガティブな部分をさらけ出すことも、次に進むには大事なことなんだと思う。 2005年5月16日 HABU |